大きな病気が続いて、生きることに自信をなくしかけていたこのころ、さらに追い打ちをかけるように思いもかけない知らせが入りました。
気になっていた青原和子さんの消息です。
本川国民学校で被爆していっしょににげつづけたあの和子さんが、農家で別れた一週間後には亡くなっていたというものでした。
このことを聞いた清子さんは、その場にすわりこんでしまいました。
(あんなに元気がよくて、あんなにたよりになった和子さんが、わたしより先に死んでしまっていたなんて! わたしは、生きるために被爆者であることをかくしてきたから、夫以外のだれにも自分の生い立ちを話すことはなかったけど、和子さんのことはひと時もわすれることはなかったのに)
(あの元気でやさしかった和子さんが亡くなって、わたしは今ここに生きている。なぜなの? なぜなの?)
と、ひとりごとをくりかえしてばかりいました。
清子さんは、ときどき窓から空を見上げては天国に逝ってしまった三人の家族によく話しかけていました。ただ、どこにも写真が残っていないお母さんと弟の顔だけは、どうしても思い出せないままなのでした。それはとてもさびしいことでしたが、それでも笑顔を想像して話しかけると、お母さんのやさしい声や弟のかわいい声が返ってくるようで、心が落ち着いたのです。
この日から、その空に和子さんも加わるようになりました。