つらい日々を何とか過ごして中学校を卒業した清子さんは、住みこみなどをして働いていましたが、被爆者であることをだれも知る人のいない都会がいいと思うようになり、20代の終わりごろ、一人で知らない街、横浜に出ていきました。
横浜に住むようになってからも、原爆にあったせいで体中がだるく、長い時間立っていることができなくて、思うように仕事にならないことがよくありました。でも、また差別されたりいじめられたりすることをおそれて、被爆したことはだれにも話さないことにしていました。
そんな時、近所に住む公照さんというすてきな男性に出会いました。だれにも明かさないことにしていた被爆者であることも、何もかも心をゆるして話せるやさしい人でした。
やがて二人は結婚しました。家族のいない清子さんにとってはやっとおとずれた安らぎの時でした。被爆者であることを受け入れてくれたあたたかい夫のいたわりが、体のだるさもやわらげてくれているような気がして幸せでした。
(この人といっしょならどんな困難にも耐えていける)
と思った清子さんは、これまでの悲しい出来事はすべてわすれて生きていこうと決意しました。