清子さんは、呉の遠い親せきだという知らない家に引き取られることになりました。
そこでは、さらにつらいことが待ち受けていました。
「あの子は原爆におうたんじゃと。放射能がうつるけぇ近寄っちゃあいけんのんで!」
心ない子どもたちのこんな言葉が聞こえ、近所でも学校でも
「げんばく」
「げんばく」
とよばれてからかわれ、
「菌がうつる! あっちへ行け!」
といじめられました。
清子さんはいつも一人ぼっちで、助けてくれる人はだれもいませんでした。
「わたしゃ何にも悪りぃことぁしとりゃあせん! 原爆はうつりゃあせん! わたしゃああんたらとおんなじ人間よ! どうしていじめられにゃいけんの?」
心の中でさけんでは、やりきれないくやしさとさびしさを、ひそかに泣きながらまぎらわすしかありませんでした。
🍀「原爆差別」:「被爆者といっしょにいたら放射能がうつる」と遠ざけようとしたり、やけどのあとを気持ち悪がっていじめたり、1957年に制定された原爆医療法によって被爆者の医療費を国が持つようになると、「どうして被爆者だけが特別あつかいされるのか?」と悪口を言ったりする原爆差別に、被爆者の誰もが苦しめられたと言います。